最 新 情 報


Hauoli Makahiki Hou!

寒中お見舞い申し上げます。
皆様にはよき新年をお迎えのことと存じます。
本年も、あっという間に10日が過ぎました。
今週は、新しいHawaiian Fanの発送です。お待ち下さい。
新年になって全国からメールでの購読申し込みが続きました。ありがとうございます。今年も楽しい情報をお届けします。
本年もよろしくお願いいたします。             
          Hawaiian Fan編集長 東海林仁


◎1st Annual “Japan Hula ‘Oni E Hula Festival”
第1回フラオニエ全日本代表選出競技会を株式会社ウイラニジャパンが新年早々の1月6日(土)に東京・大井町のきゅりあん大ホールで開催した。この大会は、ハワイの伝統あるフラの家系を受け継ぎ、次世代に正しくフラを伝えるためホクラニ・ラリー先生とそのハラウ「ハラウ・フラ・オ・ホクラニ」が運営し、毎年ホノルルで開催されているものですが、フラを通じて一層深く様々なことを学んでいただくことを目的としたフラ・コンペテーションとして日本での開催をスタートするもの。  大会のカテゴリーは、ケイキ、ワヒネ、クプナのアウアナ、ソロ、グループでの出場となる。ハワイよりのジャッジは、エドコーリアー、マプアナ・デ・シルヴィアなどが審査に当たる。エキシビションとしてハワイのフラオニエ優勝ハラウ、ハラウ・フラ・オ・ホクラニが出演。司会はメリーモナークでお馴染みのキモ・カホアノが担当し各部門の優勝者は2007年度ホノルルで開催の大会に出場資格が与えられます。さて優勝は?次号でお伝えします。

◎レナ・マシャードの曲を集めたホルナペ・コンサートに期待!
2007年1月26日(金)ハワイアのソングバード・レナマシャード・トリビュート・フィチャリング・ホゥナペがハワイアシアターで開催されます。名曲の数々をホルナペがどんな演奏をするのか楽しみです。料金は33jで、20:00よりTEL808-528-0506

◎大橋節夫メモリアルコンサート
大橋節夫メモリアルコンサートが2月9日(金)サントリーホールで開催が決定した。主催はフジテレビジョンで映像・サウンドを駆使して、あの大橋節夫のスティール・ギターがニュー・サウンドと共に甦る。数々の大橋節夫の名曲を多数のミュージシャン達が一堂に会してのコンサートになる模様。開演は18:30でS席¥8.500 A席¥7.500 チケットは大橋節夫音楽事務所TEL03-3793-7382 チケットスペース03-3234-9999

◎2007年第1回ハワイアン新年会
プロ・アマを問わずハワイアン黄金期を楽しんだ演奏者と仲間の同窓会で、グループやバンドにとらわれず新年の顔合わせを行おうという新年会で、1月21日(日)新橋の航空会館8Fのスエヒロで午後12時30分から開催されます。会費¥6.000(1ドリンク付Lunch Buffet)発起人代表は三橋渡氏。お申し込みは各発起人へお申し込み下さい。三橋渡、内田保正、上島棟一郎5706-3391清水峰生夜3341-0837白石信03-3586-3840白片与、前野秀郎

◎第6回Hawaiian Fan愛読者の集い2007新年会 He Mele Aloha New Year Paarty
2007年1月28日(日)西新宿の『21世紀』(03-3363-2100)で午後1時より開催します。新春顔合わせで歌おう!踊ろう!ハワイアン!Wai Wai楽しむ何でもありのパーティーです。どうぞ気軽にお集まり下さい。ブルー・アイランダース、ニュー・ダイヤモンド・ダスト、OHANA BANDO他出演予定。
会費は¥4.000人数に限りがありますのでお早めにお申し込み下さい。
編集部TEL:03-6771-7861

◎第7回Hawaiian Fan愛読者の集い
「Ukulele Paradise春のウクレレ祭り」を開催します。
ウクレレ・コンサートを3月3日(土)高田馬場の西武スポーツプラザ9FBIG-BOXにて午後1時より〜4時まで開催されます。ウクレレ大好きな皆さんが、どんなウクレレの音色を聞かせてくれるのか楽しみです。出演申し込み続々着ています。3/3が楽しみです。チケットは¥3.500です。お申し込みは
チケットは編集部へ03-6771-7861


■My Favorite Hawaiian
〜私が選んだハワイアン・ベスト100〜(募集要領)
日本のハワイアン・ファンはどんなハワイアン(曲)がお好きなのか?皆様の投票により『私の選んだハワイアン・ベスト100』を選出します。ランキングの決定に皆様の参加とご協カをお願い致します。“私の好きなハワイアン"“思い出のハワイアン”をお知らせください。(今回は「曲目」のみに限定)。各号にて集計結果中間発表、またお寄せいただいたお便りの一部を掲載させていただきます。
資料は本誌によるCDの企画や出版・コンサート企画などに反映させていただきます。ぜひ、ご協力をお願いいたします。
(投票の書式)
★私の好きなハワイアン5曲(順不動で5曲)をお選びください。(日本でできたハワイアンもジャンルに含めます。)
★曲にまつわるお便りをお願いいたします。:上記より1曲(複数曲でも可)について、好きになった理由、きっかけ、思い出、エピソードなど何でも…メッセージをお寄せください(1曲200宇以内)名前、年齢、住所、電話、FAX、e-mailなどを必ずご記入ください。

(投票方法)
投票締め切り:平成19年1月25日まで。
恐れ入りますが、お手紙、ハガキの場合、〒994-0048 天童市交り江2-6-27 Hawaiian Fan編集部デザイン制作室までお送りください。FAXの場合は023-654-5664 e-mailは、hawaiian-fan@toukairin-hitoshi.comまでお願いいたします。ハガキでも結構です。詳しいお問い合わせは03-6771-7861まで。

■HAWAIIAN FILE
●ハワイアンの原点に帰って「マリーン・サイハワイの心を歌う」
本誌主催のハワイアン・ファン・スペシャル・アロハ・コンサート・VOL.1が11月4日(土)新宿明治安田生命ホールで『マリーン・サイハワイの心を歌う』と題して超満員のお客様の中で開催されました。スペシャル・ゲストのマリーンサイは「カイノア」で女性歌手部門のミリオンセラーを記録している大歌手。日本からはネイティブなハワイアン・サウンドで定評のある三橋信夫とマウイ・セレネーダースが出演。フラには三崎良子、レフアとも子、井上ケイ、レフア・カレオナヘとよだのハラウがステージを飾りました。カイノア、クウホアなど、マリーンサイならではの素晴らしい歌を堪能し美しいフラと音楽を楽しめた大人の素敵なコンサートでした。また、ハウオリ・ウクレレ・メイツの大コーラスもすばらしかった!改めてマリーンサイの歌の実力を堪能しました。(次号41号でレポートしています。)

★第5回本誌愛読者の集い大成功に楽しく終わりました。

大好評をいただいておりますフラサーキットHe Mele Alohain BIG-BOXメレフラ・パーティは、9月23日(土)高田馬場のBIG-BOXで午後12時より4時まで開催されました。
9月は、鹿嶋に続き2回目ですが、今回は、ウクレレグループの大野ウクレレ教室の皆さんの女性7名の見事なソロ演奏、そして、ヤマハウクレレ教室の皆さんのジャージーな多彩な演奏、夏きよみさんの教室の女性コーラスによる演奏なども加わり、その後、フラ・タイムでは1部から〜4部まで40曲を踊られました。音響、ステージ、照明も素晴らしく、素敵なフラが次から次へと登場!心ゆくまで踊られていました。
この日は、映画「フラガール」の公開日でもありました。大いに盛り上がりました。そして、この日は、Hawaiian Fanの最新号も販売され大好評でした。ご参加の皆さんありがとうございました。次をお楽しみに・・・。
尚、フラサーキットですので次の開催地を募集します。東京だけでなく各地のバンドと共にサーキットします。開催してみたいというところがありましたらぜひお声をかけてください。(No,40掲載)


★Hawaiian Fan誌もハワイのいろんな関係者に紹介されました。ハワイでご覧になりたい方は、取り急ぎワイキキ・バニアン501号のハイテックス・インター・ナショナルにサンプル誌が置いてありますのでご覧ください。また、東京のほうは御茶ノ水のアキオ楽器にて販売中です。お急ぎの方どうぞ。


■ハワイアン!HAWAIIAN!はわいあん!
いま、ハワイアン音楽は再び脚光を浴びています。フラダンスも全国で流行しています。「ハワイアン・カルチャー・ブーム」と言うことで全国で盛り上がっていますが、『東海林さんはなぜハワイアンなの?』と質問がありましたので「私とハワイアン」について特集してみました。

       ■第3次ハワイアン・ブーム!?■

■ハワイアンの復活に情熱を傾け24年!

ハワイアンの専門情報誌を発行続け、第3次ハワイアン・ブーム(音楽、フラ、ウクレレ)を築く。ハワイアン復活へのプロセスとして、日本初の専門情報誌「Hawaiian Fan」が大きく貢献しました。

●東海林仁はなぜハワイアン情報誌「Hawaiian Fan」を創刊したのか。

昭和40年代に入り、エレキブーム(GSブーム・ベンチャーズ他)ビートルズ旋風のあおりで、ハワイアン音楽が衰退し始め、ハワイアン音楽はまったく聴くこともできない状況になった。たまに、イベントを聞きつけてコンサートに出かけても、コンサート会場はガラガラの状況でした。それもそのはず、イベントを知らせる「情報が皆無」なのです。ハワイアンが好きでも、情報がわからないのですから行くこともできなかったのです。

ハワイアン音楽にとってはまったくの氷河期で、ハワイアンの「ハ」の字も聞くことがないくらいに衰退しました。この頃、ハワイアン・ミュージシャン達も危機感を抱き、何とかしなくてはと、「日本ハワイアン協会」を作りました。各ミュージシャンも仕事が少なく危機感を感じておりました。
「ハワイアンを何とかしなくては」と細々と活動を続けている状況でした。

東海林仁は、1964年から1979年まで、東京・渋谷区でショージ仁とブルー・ハワイアンズを結成し、15年間アマチュア・ハワイアン・バンドで活躍しましたが、このときも、ハワイアン情報の少なさを感じていました。
素晴らしいハワイアン・ミュージックが消え去ることに、「これは何とかしなくては、ハワイアン音楽の灯が消え去ってしまう」と、自らハワイアンの情報誌「Hawaiian Fan」を創刊することを決意したのが1982年(昭和57年)でした。

しかし、マイナーな音楽であり、今にも消え去ろうとするハワイアン音楽の情報誌を発行することは、採算性や購読者の面でも大変なこと、経営的にも難しいことであり、止めた方がよいのではという意見もありましたが、私のハワイへの憧れ、ハワイアン・ミュージックを愛する心は変わらず、「こんな素晴らしいハワイアン音楽がこれで終わってしまうのは残念であり、何とか全国のハワイアン・ファンへ、音楽情報やハワイの文化や歴史、ハワイの旅行情報などを伝えてあげたい!」と、もちろん苦労は覚悟の上での創刊でした。

●日本で初めて、いや、世界で初めてのハワイアン音楽&フラの定期情報誌「ハワイアン・ファン」を創刊!ハワイアン復活の原動力となりました。

雑誌名は「Hawaiian Fan」として、1982年7月に待望の第1号を創刊しました。当初の購読者はごくわずかでした。全国のハワイアン愛好者を探し出すだけでも大変なことでした。このころから、東京都内にハワイアン・スナックが登場し、この情報誌をお客様に配布、購読者が増え始め、口コミで広がってゆきました。しかし、情報を集めるのに苦労しました。ミュージシャンといえば、私にとっては皆さん雲の上の人ばかりです。しかし、「これからは情報を発信しない限り、ハワイアンの発展はありえないことを説得」ミュージシャンの皆さんからの協力も得ながら発行を重ねてゆきました。

発行のたび、一日も早く届けてあげたいと、まずは、都内のハワイアン・スナックへ配達に行きました。「あっちには届いて、こっちにはまだ届かない」といったことがないように配慮したからです。雨の降る日も配達に回り、終わるのは深夜でした。「本当にこの情報誌は必要なのか?」と、疑問を持ったり、冷たくあしわられることなどもあり、涙がこぼれることもしばしばでした。また、発行を重ねるたびに「私の記事が小さい」とか「あの人とは格が違うんだ」あるいは、「何で同じ日にイベントがバッテンィグしてるんだ。」とか、まったくわけのわからぬ苦情も多くあり、ハワイアン界の悪い体質そのものであることに腹が立ちましたが、何とか少ないスタッフで努力を重ね隔月発行を続けました。

●読者の喜びの声が全国から届く!編集部は「ハワイアン・インフォーメーション・センター」の役割を果たす。

徐々に、全国から問い合わせが来るようになり、朝から晩まで電話の応対で大変でした。考えてみればハワイアンの情報を扱っているわけですから仕方のないことですが、「誰々の住所がわからないか?」「○○の電話を教えてくれ」「○○の曲がほしいのだが、レコードが発売されているか?そのレコードを買いたいのだがどうすればよいか?」「フラダンスを習いたいのだが、どこの先生が良いか?」「ハワイアン・スナックに行きたいが、どんな雰囲気か?料金は?道順は?」「何か楽しいイベントはないか?」「ハワイに行きたいのだが音楽の聞けるところはどこか?」「ウクレレを最近また始めたが、何か良い教則本はないか?」「○○バンドの連絡先はどこか?」「アロハオエの歌詞を教えてほしい」「ハワイの○○アーチストは元気でいるのか?」等など、まさしく「ハワイアン・インフォーメーション・センター」的な役割をこなしてきました。確かに、いつでもハワイアンに関する情報を教えてくれるのはこの編集部しかないからです。このような問い合わせは現在でも続いておりますが、こうした「ハワイアン・インフォーメーション・センター」的な役割を果たせる会社は他になく、ありとあらゆるお世話をしてきました。これがハワイアン復活への大きな原動力となっていることも確かです。また、全国のハワイアン愛好者から多くの「ハワイアンをやっていて良かった!」と、喜びの手紙も届きました。

ハワイ案内はもちろん、ツアーで読者を連れて行ったり、楽器の世話、あるいは人を紹介したり、フラダンスの生徒を紹介したり、ハワイアン・グッズを取り寄せ販売したり、LPレコードを輸入して提供したり、ハワイアン・ファンが求めるニーズにすべてお世話をしてきました。こうしたことがハワイアンを復活させる面で大事なことだったこと、このようにお世話をする会社ができたことが、大きな要因のひとつでもありました。もしこれがなかったら復活はありえなかったかもしれません。確かに、ハワイアンで朝から晩までコンタクトできる会社は日本でただひとつだったのです。日本ハワイアン協会もスタートしましたが、留守番電話の対応で機能はしませんでした。

●ハワイアンのレコードも輸入販売活発化!新しいハワイアン音楽に興味を持ちはじめました。

このころは、好きなハワイアン音楽のレコードを求めたくても、レコード店には古い焼き直し盤しか置いてなく、ハワイアンレコードを求めることさえ大変でした。徐々にハワイアンの復活とともに,1985年にラッツパック・レコード株式会社の協力により、ピーター・ムーン・バンドのLPレコード3タイトルをリリースしてもらうなど、ハワイアン音楽の良さを再発見する人たちが増え続けました。この頃までは、どちらかと言うと、ハワイコールズのような、ハパ・ハオレ・ソングのファンが大多数を占めておりましたが、このあたりから、カナカソングというか、本当のハワイアン・ソング、フラ・ソングへの関心が高まってきました。この辺から、音楽の嗜好も徐々に変わってき始めました。ピーター・ムーンやカジメロなどの曲を聴くようになった頃です。何十年もの間、ハワイアン情報はまったくなく、昔のままでストップしていましたので、ハワイの情報が伝わらなかったために、日本のファンは昔のファンが多かったのです。現在ではハワイと同時発売位になりましたのでファンは大変喜んでいます。

●フラも徐々に理解され、教える先生も育ち始めました。そして、フラ・ブームへとつながりました。

フラの分野も、この情報誌をスタートしたころは、2〜3の先生が教えてはいたものの、フラそのものが一般に理解されておらず、フラは下品な踊りと、理解されておりました。一般的な理解は、ハワイのショーなどで見せるタヒチアンダンスと一緒に考えている人がほとんどでした。「Hawaiian Fan」は、フラの意味を伝え、ハワイアン・ダンスへの理解を伝えることに努力しました。その後、フラの先生も徐々に増え始め、生徒を確保するのに躍起になっておりました。「Hawaiian Fan」誌の掲載記事を持って○○という方が当カルチャースクールに来ましたが、フラダンスというものはどういうもので、来た先生は大丈夫なのか?」といったような問い合わせが数多くありましたが、カルチャースクールの担当の方も、なるほどと理解され、フラを科目に取り入れるようになってきました。フラへの理解はまったく低かったのです。そして、カルチャーに入り込むようになってから生徒が増え、理解者も拡大したことが、現在のフラ・ブームを作った大きな要因です。

●ウクレレは売れなくて、楽器店の片隅でホコリをかぶっていた。それが今ではウクレレ・ブーム!

ウクレレもこの当時は、楽器店の片隅でホコリをかぶっておりました。そして、粗大ゴミの日には、押入れにあったウクレレが邪魔なので粗大ゴミに出すといった状況でした。捨てられたウクレレを拾ってみたら、マーチンの年代ものだったという方もいたり、ウクレレは邪魔者扱いされた時代でした。それが、この情報誌が出回るにつれて、再びハワイアン・バンドをやってみよう!ウクレレをもう一度弾いてみようという人たちが増え始め、押入れにしまっておいた楽器を取り出しては修理したり、新しくウクレレを購入したりという行動が目立ち始めました。情報誌の登場で楽器に対する評価も変わってきました。そして、日本ウクレレ協会のメンバーが、ウクレレ専門スクールを始めたのもこのころです。私は、「教える人がいないのでは絶対広がっていかない!」が持論でした。フラは教える人たちが増え始めたおかげで、徐々に習う人が増えたと同じく、ウクレレもそうだと思います。その後の結果は、教室や、カルチャーの増加によりどんどん増え始め、老若、男女がウクレレに興味を持ち始めたおかげで、現在のウクレレ・ブームを作っております。ウクレレ・メーカーも相当増えましたし、そして、メーカーも増産体制です。フラと合わせてウクレレ人気はまちがいなく復活しました。

●積極的にハワイを取材!ハワイの魅力を伝えたことによって、多くの人が憧れのハワイへ出かけるようになりました。

ハワイアンを愛する人にとって楽園ハワイは憧れでした。しかし、まだまだハワイに行く人は少ないころでしたが、1984〜5年頃からハワイへの関心が高まり、編集部はハワイツアーを募集!ハワイに憧れた人たちを連れてまだ見ぬハワイを案内しました。読者は単なる観光ツアーではなく、ハワイの文化や音楽、フラに触れられるメニューを要求しました。編集部独自の企画で、多くの人をハワイに連れて行きましたし、また、その楽しさを伝えました。その後、リピーターも増え始め、円高と共にハワイへの旅行は気軽に行けるようになりましたし、1985年に本誌は、フラの祭典「メリーモナーク・フラ・フェスティバル」を伝えました。この頃、このフラ大会を知る人はほとんどおられませんでした。
その後、「メリーモナーク・フラ・フェスティバル」への関心が高まり、どうしたら見学できるのか?ホテルのキープはできるのか?といった問い合わせが多くなりました。ツアーの企画や、ツアーのグループを紹介し、今では、何百人と見学に出かけていますが、このころは、「メリー・モナーク・フラ・フェスティバル」があることさえ知らなかったのです。もちろん、「ウクレレ・フェスティバル」も同じです。その他のイベントも同じですが、特にフラは、アロハ・ウィークに出演したり、あるいは、多くのミュージシャンやクムフラとの文化交流も活発化し、ハワイと日本の交流は年々活発化しており、定着しました。

●平成とともに「HAWAIIAN WAVE」と改めて新規創刊する。

1989年、昭和天皇の崩御により、年号も「平成」と改められました。同時に、この情報誌をさらに広げるため、ラッツパック・レコード株式会社の棚橋牧人社長の協力を得て、専門の会社組織に改め、ハワイアン・ジャーナル社として再スタートしました。

「HAWAIIAN WAVE」の第1号は、同年、7月創刊。ハワイアン・ブームは、確実に進歩を遂げ、この年をスタートに、日本での「第3次ハワイアン・ブーム」と位置づけました。その後、「HAWAIIAN WAVE」誌をとうして、全国のハワイアン・ファンを結びつけ、ハワイアンの大きな輪を全国に広げました。内容については「HAWAIIAN WAVE」をご覧いただけばお分かりのとおりです。2000年5月、「HAWAIIAN WAVE」100号達成の折、ハワイ州庁舎を訪れ、副知事のメイジーK・ヒロノ氏の激励を受けました。

●ハワイから有名アーチスト続々来日。今では、ハワイと日本は文化交流で一心同体です。

ハワイの有名アーチスト、有名クムフラ、有名なハラウの来日は日常当たり前のようになって来ました。フラの交流、ミュージシャン交流、ハワイでのイベントへ参加、ワークショップなどを通じて、ハワイ文化を一番理解する国民に成長を遂げているように思います。また、以前はレコードを求めるにも、何ヶ月もかからなければ入手困難でしたが、日本のレコード市場へリアルタイムで入荷し販売されるようになりました。また、フラ・ブームの影響で、ハワイアン・グッズを販売する会社も多く増え始め、いまは、どこでも求められるようになりました。また、フラ・ハラウの発表会も数多く、どこも大盛況です。これだけハワイを愛し、ハワイアン・ミュージックを愛し、フラを愛する国民は他の国にあるでしょうか?日本は、ハワイの友好ナンバーワンの国といって過言ではないでしょう。

●これからもハワイやハワイアン音楽、フラの楽しさなど総合情報誌として、日本のハワイアン・ファンに情報を伝えてまいります。

今では、ハワイアン業界になくてはならない情報誌としてその役割を果たしています。全国の愛読者の皆さんへ、楽しい情報を送り届けることが使命であると考え、努力してまいりたいと思います。
これまでを振り返って、ゼロからの出発でしたが、今にも灯火が消えそうだったハワイアンのあらゆる情報を送り届けたことによって、ハワイアンは復活するとともに、フラが理解されブームを築きました。そして、ウクレレも流行しました。眠っていたハワイアン・ファンが目を覚ましました。もう一度、ハワイアンをやってみようと、全国各地にバンドが再結成され、各県にハワイアン愛好会が続々誕生しました。そして、より深くハワイの文化を正しく勉強し、楽しんでゆこうとする行動が目立ちます。

しかし、考えて見ますと、この情報誌がない限り、このハワイアン・ブームは間違いなく訪れなかったと考えられます。今頃は、昔話か、忘れ去られた音楽になっていたかもわかりません。一つの小さな媒体を元に、交流が始まり、産業を作り出し、この日本でのブームが形成されています。ここまで、発行を続けることは並大抵の努力ではありませんでした。時間的にも、金銭的にも、昼、夜なく没頭し、ただただ一心に発行を重ねてきました。当時を思えば、他のジャンルの情報誌はあるのに、ハワイアンの情報誌がない、ましてや、ハワイの情報など旅行の情報以外に伝わりませんでした。

ハワイの文化情報を、多くのハワイアン・ファンへ伝えてきたからこそ、現在のブームにつながってきたものと自負しております。現在のハワイアン・ブームを考えますと、微力ながら情報発信を続けてきたおかげと、感無量です。これからも、より多くの情報を全国のファンに届けてまいりたいと思います。

★平成17年9月ハワイアンの原点に返って、日本で始めて創刊したハワイアン情報誌「Hawaiian Fan」を復刊しました。まだまだ、いろんな角度からの情報発信が必要であり、また、これまで培われた日本ハワイアン音楽界の財産を若い人に伝えていかなければなりません。そして、これからのミュージック&フラの発展を模索し、お役に立つ情報を提供していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
                 

     Hawaiian Fan編集長・東海林仁・Hitoshi Shoji
                           
(お陰様で平成15年3月、日本ハワイアン音楽協会よりハワイアンの発展に貢献したことで感謝状受賞をいただきました。)

■月刊「Hawaiian Fan」のご案内

●ハワイアン情報をを24年間にわたり伝え続けた東海林仁が(Hawaiian Wave編集長、Hawaiian Fan創刊者)全国のハワイアン・ファン&フラ愛好者と共に創るハワイアン&HULAの専門情報誌「Hawaiian Fan」が復刊!
東海林仁が本格プロデュース!「ハワイアンの原点」に返って、お役に立つ、身近なハワイアン情報を満載。24年間、この業界を研究、そして、リードしてきた編集長の東海林仁が、心を込めて編集、お一人お一人と対話しながらお役に立つ情報誌を創っています。

■主な記事内容

ハワイ情報・ハワイアン音楽情報・HULAの楽しさ情報・フラに魅せられてシリーズ、イベント情報・全国Hawaiian & Hula愛好者紹介・全国のハワイアン・バンド紹介・あの人・この人・ウクレレ・パラダイス、スティールギター・コレクション、ハワイアン・コレクター、日本のハワイアンの歴史・ハワイアン曲集・コードブック・歌詞解説・ハワイアンの名曲は甦る・あの日あの頃・ウクレレパラダイス・スティール・ギターの知識・ハワイの歴史(連載・雑学ハワイ史・山村尭)、コラム「これでいいのかハワイアン?」ハワイアンが聴けるライブ店・ハワイアングッズ店紹介・楽器店及びハワイアン楽器紹介・ハワイアンの買えるレコード店&楽器店・ハワイ風のレストラン紹介・ハワイアン・ファンの健康講座・DVDの素晴らしい映像を見よう・ビデオ作品紹介・教材用CD、カラオケ、DVD・こんなレコードがありました・ハワイアンと私・その他ためになるハワイアン情報を満載してお届けしています。今後の企画にご期待下さい。

★体裁:A−4判 (フルカラー頁)16P〜24P    

★購読者:全国のハワイアン愛好者、フラ愛好者、各ハワイアン団体、ハワイアン・クラブ、ハワイアン・バンド、ウクレレ・クラブ、日本ハワイアン音楽協会員、アロハ協会、楽器店など、幅広いハワイアン愛好者に読まれています。

★購読料:6回分:発送料・送料共¥5.000円(税込み) 12回分割引:¥9.500円 Webからお申し込みいただけます。

★購読お申込みの方は、郵便局にて青色の振替用紙に、ご氏名、住所、電話、などご記入の上、振替口座:02480−8−18485「有限会社カイデザイン・プランニング」宛にご送金ください。入金次第「購読者登録」されます。お申し込みはWabからでもOKです。

★広告を是非ご利用ください。貴社の販売促進に大いに活用してください。

★ハワイアン事業計画には、効果的に記事掲載や広告掲載をお考えください。お気軽にご相談ください。

★お申し込みお問い合わせは下記へ願いします。

有限会社カイデザイン・プランニング「Hawaiian Fan」出版部
〒104-0047東京都千代田区内神田2-11-2 TEL:03-6771-7861(代)

尚、原稿送付等は、制作室:〒994-0048天童市交り江2-6-27
TEL:023-654-8611 FAX:023-654-5664迄お送り下さい。


■ハワイアン・バンド活動

ショージ仁は、1964年にショージ仁とブルー・ハワイアンズを結成し、1979年まで15年間にわたり活躍する。オリジナルの曲をレコーディングするなど活躍したが、15周年記念リサイタルを開催後に解散。その後、バンド活動をやめて、ハワイアン音楽の火を消すな!と1982年7月に「ハワイアンの復活は情報の発信しかない」と、日本で始めてハワイアン音楽&フラの専門情報誌Hawaiian Fanを創刊し、ハワイアン復活へがんばった。また、1988年にはフラが流行しそうだと「グラフィックTHE HULA」を創刊したが、Hawaiian Fan誌と重なり休刊した。1989年からは雑誌名をHAWAIIAN WAVEと改め発行を重ねる。
1994年には、15年間のブランクはあったものの再びハワイアンバンド「ショージ仁とブルー・ウエーブス」を結成し活躍中である。毎年、ディナーショーを開催、夏は特に忙しく活躍する。ホテルでの演奏や、また、チャリティー・コンサート、各施設への慰問活動などを含め、ラジオ、テレビ出演なども数多い。ショージ仁は、ハワイアンと共に42年!ハワイアン情報誌の発行とバンド活動に全力を尽くす。
日本ハワイアン音楽協会会員、東北ハワイアン愛好会ハワイアン・サミット役員、天童ハワイアン・クラブ会長などを務める。

●ショージ仁(東海林仁)とブルーウエーブス活動レポート!

★18年10月28日早朝より(9:30AM)天童市中部公民館でフラダンス教室開催!ナマバンドで踊っていただきました。フラの皆さんも一生懸命指導され、子供から大人までフラを楽しみました。こんな朝の早い演奏は初めてでしたが、地域文化発展のためがんばっています。

★2006年夏も各地からのご要望でバンド出演中です。良い日程はどこも重なるのでお断りさせていただくところも多く、申し訳なく思っております。
ホテル、諸会合、夏祭り、ビアパーティーなどでブルーウエーブス奮戦中です。8月いっぱい続きました。

★7月2日鹿嶋の鳴海六朗とカマアイナスの皆さんとフラに皆さんが天童に遊びにこられ、ホテルでパーティーが開催されました。カマアイナスの皆さんの素晴らしい演奏とフラで盛り上がりました。

★2006年12月5日(日)東北ハワイアン・サミットin山形が開催されました。南東北の13バンドが出演しました。(42号でレポート)

★2005・9月18日(日)は、天童市民文化会館でライオンズクラブ主催の「チャリティー・ジョイント・コンサート」がございました。ショージ仁とブルーウエーブスとカフラオ・ハワイ山形校の中川美智子教室のフラダンス約50名が共演し大好評のステージでした。今回はハワイアンを6曲、ハワイへ誘いました。(のぞみ学園にリフト付きバスを贈呈する)

★2005・7月20日〜23日の3日間は、河北町のザ・プラザ・シンホニーに出演しました。生ビール、お酒、焼酎なんでもあり、抽選会もテレビや電子レンイが毎日当たるなど楽しそうでした。翌、24日は尾花沢花笠商店会の夏祭り、28〜29日は、天童のホテルでの演奏。3日は、銀行の夏祭りと大忙しでした。皆さんも参加してフラダンスを踊ってくれました。

★音楽で心の慰さめ!バンドで福祉施設を慰問しました。

私の所属する天童ライオンズクラブでは、アクテビティーとして、ハワイアン・バンドの「ブルー・ウエーブス」が、福祉施設を慰問しております。2004年9月には明幸園ディサービスセンターに、そして、10月29日は清幸園に慰問をおこなってきました。懐かしい歌、青い山脈、りんごの歌など、みんなで歌を唄ったり、そして、カイマナヒラなど若いダンサーのフラダンスを交え、大変喜んでいただきました。音楽で社会のためになるならと喜んで活動を続けております。
私は、これまでも多くの身体障害者施設などへ定期的に慰問をおこなっていました。ヘレンケラー財団、そのほか多数。

★第12回「ハワイアン・サマー・パーティー」大成功に終わる。

毎年恒例のブルーウエーブスのサマー・ディナーショー「七夕の恋パート7」が、2004年7月18日(日)行われました。爽やかなハワイアン音楽、美しいフラダンス、そして、懐かしい思い出のヒット曲に耳を傾けながら、冷たい生ビールとお食事で夏の宵のひと時をお楽しみ頂きました。サクマミサコ&ミッキーズのピチピチのフラが大好評でした。また、「東海林仁ハワイアンと共に40年」のコーナーも設けられて、40年前の録音を聞きながら想い出を語りました。皆さん本当にありがとうございました。ブルーウエーブス一同心から感謝申し上げます。次回を楽しみにしてください。

★テレビ出演:NHK山形テレビからお誘いを受け、2月13日(金)ニュースワイド山形「街角夕方ライブ」に出演しました。内閣府が先月発表した「文化に関する世論調査」では、音楽や演劇を鑑賞する人が少なくなっていることがわかりました。文化向上のため、山形の音楽や芸術文化を伝えようと企画された一週間で、ブルー・ウエーブスもその中に選ばれました。パルテより生中継とあって緊張気味でしたが、当日の即興の打ち合わせにもかかわらず、臨機応変に対応、フラダンス・チームと一緒にハワイアン音楽やフラの楽しさを伝えました。番組終了と同時に見たよ!と反応もすごくテレビの影響は大変なものです。これで私はNHKには3回のテレビ出演となりました。

★「音楽が流れる豊かな文化都市に発展させたい!」

天童にも音楽文化を発展させたいと結成した「ショージ仁(東海林仁)とブルー・ウエーブス」は、夏になると出番が多く、ホテルや各地区の夏祭りやビアパーティーへの出演などで大忙しでした。文化都市天童に音楽でお役に立ちたいとがんばっています。2005年9月には市民文化会館のチャリティー・コンサートにも出演し大好評をいただきました。

★こんな時代だからこそ心を癒す音楽が必要ですね。専門的なハワイアン音楽から、ポピュラーなハワイアン、ジャズ、ラテン、タンゴ、ポップス、歌謡曲などレパートリーは広く、60年代のポップスも演奏中です。

★東海林仁作詞作曲の曲も時々演奏

私の作詞、作曲したオリジナルも数多くあります。オリジナル曲をちょっとご紹介してみますと
「ラブユー・アロハ」(昭和42年作)
「ピカケのレイに甘いキス」
「恋のひとりごと」
「別れたあとで」
「夢では今夜も逢えるけど」
「花が咲いたよ」
「ギターを弾こうよ」
「夜霧の街角」(昭和42年作)(歌謡曲の新人の方、歌ってみませんか?)
「二人のハワイ」etc
最近作った曲では「天童旅情」です。どんな曲?まだ未発表です。そのうち演奏する機会を作りたいものです。

★「天童ハワイアンクラブの会員になりませんか」

★私が県内で初めて創設したフラダンス教室も育ちまして、各地でいろんなイベントに出演したり、寒河江の花咲かフェアー他、慰問活動なども展開中です。音楽をとうして皆さんのお役に立てれば光栄です。フラを踊りたい方ご相談ください。紹介します。

★天童文化団体協議会の「天童ハワイアン・クラブ」の会員を募集中です。ハワイやハワイや音楽、フラダンス、ハワイの歴史、楽器などに興味のある方ぜひご連絡ください。一緒に楽しみましょう。会費は年1000円です。

■東海林仁の主な経歴

●東京・渋谷の電気パーツメーカーの宣伝課を創設し、宣伝課長兼営業本部課長を経て独立。昭和54年デザイン会社設立創業し現在に至る。グラフィックデザイナー、カメラマンと活躍!特にマーケティング分野が得意で、ゼロから数々の実績を残してきました。「マーケティング8つのP」を実践、あらゆる分野での数々の実績は高い評価を得ています。自らも音楽情報誌をゼロから立ち上げ現在に至る。
(現在・有限会社カイデザイン・プランニング代表取締役)

●昭和39年3月、ショージ仁とブルー・ハワイアンズ結成(1964〜1979)15年間活躍し、15周年記念リサイタルを最後に解散。

●昭和44年結成5周年記念でレコーディング。オリジナル・ハワイアン「Love You Aloha」と「夜霧の街角」発売。バンドの思い出に制作。

●平成4年9月・ふるさと天童のシティマガジン「My TENDO」を創刊する。天童を大いにPRしたがハワイアン情報誌の月刊発行と重なり平成5年休刊。

●平成6年6月、ショージ仁とブルー・ウエーブス結成
(1994〜現在活躍中)

●平成11年9月、天童市議会議員に。文教経済常任委員会、総務常任委員会、議会だより編集委員長、鍬の町特別調査委員会、観光議員連盟副会長などを歴任。新しい感覚で一般質問も1回も欠かさず積極的に質問。

地方自治経営学会や市町村アカデミー、自由の森大学などでこれからのまちづくりや政治学を学ぶ。これからのまちづくりのあり方を研究中です。やる気充分です。

●役職:東交り江公民館長、天童ライオンズクラブ市民教育YE委員長、天童市文化団体協議会「天童ハワイアンクラブ」会長、天童なつメロ愛好会、日本ハワイアン音楽協会、東北ハワイアン・サミット役員など、幅広い分野で活躍中。

●昭和57年に日本初のハワイアン音楽、ハワイの伝統舞踊のフラダンスの専門誌「Hawaiian Fan」を創刊しハワイアン界の発展に貢献する。その後、月刊「Hawaiian Wave」誌の編集長として活躍。日本ハワイアン・ミュージシャン列伝など連載。また、業界の発展に貢献したことで平成15年3月、日本ハワイアン音楽協会(名誉会長石原慎太郎)より「感謝状」を受賞する。

●平成17年9月、原点に返って、ハワイアン情報誌「Hawaiian Fan」を復刊する。全国のハワイアン・ファンより大好評を得て現在毎月発行を重ねています。また、いろんなハワイアン・イベントも東京を中心に開催中!

●趣味:ハワイアン音楽を愛し、自らスティール・ギターやウクレレを弾きバンド活動を行っている。「ハワイアンと共に42年」になります。現在もショージ仁とブルー・ウエーブスを結成、音楽演奏はもちろん、作詞、作曲も行なっています。毎年、夏にはサマーディナーショーを行い好評を得ている。その他、写真撮影やビデオ・映像作品制作、読書、旅行、スポーツetc

★このホームページはあくまで「インスタント形式」です。徐々に作ってゆきますのでお待ちください。時間がない!???

★「東海林仁」で検索していただければいろいろ検索可能です。ぜひご覧ください。

★議会関係は「http://www.city.tendo.yamagata.jp/」です。一般質問の内容や、議会だより、議事録など詳しくご覧になれます。


◎いつも元気な東海林仁のニュースいろいろでした。
このバージョンは、「今回はハワイアン・バージョン」で作っています。
ありがとうございました。是非メールください。

このページについてのお問い合わせはhawaiian-fan@toukairin-hitoshi.comまで